StrayKidsのMixtape projectとSKZ-PLAYERの違いについて考える
Mixtape projectの一環である바보라도 알아(バカでもわかる)通称:パボアラのMVを見るたびにひとつの映画を見ているような気持ちになりついつい考察してしまうのだが、脳内考察を始めたら"Mixtape project"自体が気になり、"SKZ-PLAYER"との違いはなんなんだろうか?と思ったので私の考えをまとめてみる。
Mixtape project
2019年の12月上旬に発表されたプロジェクトであり公式で言われているのは、
ミックステーププロジェクト'は方向を失って悩みに陷った人々の話をストレイキッズの感性で歌するプロジェクトである。 これを通じてメンバーが世の中を見つめる視覚と独創的な音楽世界を垣間見ることができる。 ストレイキッズコンテンツの最後に登場する'Stray Kids Everywhere All Around The World'というメッセージとも意味を同じくする。 'ストレイキッズが全世界に伸びていく'と'道を失って彷徨して悩む人はあなた一人だけでなくどこにもある。 ひとりだと考えず、ストレイキッズと一緒に道を探そう'という意味を含んでいる。
という意味らしい。
つまり「悩んでいる側の人」の話をスキズが表現することでスキズもこれからもっと成長して行くし、「悩んでいる人」はあなた1人じゃないよ、だから僕たちと一緒に道を探そう!と手を差し伸べるそんなプロジェクトのようだ。
冒頭で言ったように、パボアラのMVを見ると映画を観ているような気持ちになるのは「メンバーが世の中を見つめる視覚と独創的な音楽世界を垣間見ることができる。」とあるようMVが1つの物語としてできていて曲の示す問題を捉えやすくさせているからだろうか。
「悩んでいる側」にフォーカスを当てていることは今までにリリースされた楽曲でよくわかる。問題の解決を促すしたり示したりするのではなく、「僕たちはこう考えている」というメッセージ性のある楽曲になっている。
- Gone Days
- 바보라도 알아(バカでもわかる)
の2曲が2020年12月現在までにリリースされ、Gone Daysは韓国語で「꼰대(コンデ)」という古い考え方で上から物を言う人を指したりする言葉で꼰대(コンデ)にウンザリする気持ちや、大人たちが心配するのはわかるけど自分たちで責任を取るから少し信じて欲しいという思春期らしいメッセージが詰まっている。
꼰데(コンデ)とGone days(過ぎ去った日々)をかけた言葉遊びをしているのもよく考えられてると感心した。
2曲目のパボアラではそれまでのスキズに珍しい恋愛同性愛に対するメッセージも含んでいるようなMV(これに関しては多数の考察があるため一概には言えないが)になっていて、ある問題に悩み苦しむ人へ、彼ら自身が「悩んでいる側」を表現する事でファンや見ている人により心情を理解させることができると考えている。
「Stray Kidsというグループ」が手を差し伸べてくれるようなプロジェクトがMixtape projectのようなので今後リリースされる楽曲にも注目したい。
SKZ-PLAYER
- 2018年
メンバー個々の強みであるダンス/歌/曲作りをグループ分けしたDance Racha(リノ、ヒョンジン、フィリックス)、Vocal Racha(スンミン、I.N、脱メンバーウジン)、3Racha(バンチャン、チャンビン、ハン)の動画公開
- 2019年
7/4 リノ DAWN(새벽) ソロダンス公開
- 2020年
3/23 バンチャン「My House(우리집)/2PM」
カバーダンス公開
5/7 ハン作詞作曲「Close」MV公開
5/9 ヒョンジン「when the party's over/Billie Eilish」
ダンス動画公開
5/16 チャンビン作詞作曲「Streetlight 」MV公開
12/20 ヒョンジン作詞 「꼬마별」 MV公開
SKZ-PLAYERはバンチャン中心のグループ楽曲よりもメンバー個々が制作に携わり、本人たちの実体験から組み立て作られているらしい。このコンテンツについては公式からの説明はない(?)ように思っているが、Mixtape projectのように世の中の人に対して手を差し伸べるというより「僕たちはこうんな生き方をしている。」と自己表現をしているような印象をもつコンテンツだと感じている。
またSKZ-PLAYERのバンチャンソロが2PMのMy Houseのカバーである事についても考えてみる。
普段スキズの楽曲はバンチャンの作詞作曲が多くここでは他のメンバーを引き立たせるために新しく楽曲を公開するのではなくカバーにしたのでは…と考察している。だとしたらやっぱりバンチャンはバンチャンでバンチャンでしかないな…(胸熱)と突然Twitterのようなつぶやきをしてしまう。
まとめ
どちらのプロジェクトもスキズの疑問や問題を楽曲にして可視化する姿勢が感じられる。
いつか読んだ本で「自分は人間の中に閉じ込められているが、物語とすることで他者の中に入ることができ、その対象となる者の気持ちを感じること(知ること)でこのようなことはしていけない。と感じるようになる」という表現を読んだ時にハッとさせられた記憶があるが、スキズのプロジェクトにも似ているところがある気がしている。
問題を曲とMVで可視化することで私たちはその問題を知り、ある人は共感、ある人には知見となることもある。
こうして等身大の彼らが捉え表現する物事を見られることはありがたすぎるので、私は与えられた側として彼らのメッセージを受け止めていきたい。